東京高等裁判所 昭和53年(う)1569号 判決 1980年7月08日
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役四月に処する。
この裁判確定の日から二年間、右刑の執行を猶予する。
原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、検察官提出の控訴趣意書に、これに対する答弁は、弁護人笠井治、同遠藤直哉、同小野正典及び同横田雄一連名提出の答弁書に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。
第一訴訟手続の法令違反の主張(審理不尽)について
所論は、要するに、原審の審理がいったん終結されたのち、検察官において、被告人が、本件犯行後に逃走するにあたり、現場付近の歩道端に設置されているガードレールのどの部分を飛び越えたかを明確にすることが、その罪責の有無を決するうえで重要であると考えられるところから、弁論を再開して本件犯行現場付近の検証をするよう請求したのであるが、原審裁判所はその措置をとらず、審理を尽くさなかった結果、右の点についての判断を誤り、ひいて被告人に対して無罪を言渡したものであって、原判決には、この点において、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反がある、というのである。
そこで、記録及び証拠を調査し、当審における事実取調の結果をもあわせて検討すると、本件の証拠関係上、所論のような検証をしなければ所論の事項について正当な判断をすることが全くできないわけではないことが明らかであるから、所論は採用できない。論旨は理由がない。
第二事実誤認の主張について
所論は、要するに、原判決が、
「被告人は、昭和五一年五月二三日午後四時二五分ころ、東京都千代田区丸の内一丁目八番二号先路上において、労働者、学生らの集団示威運動に伴う違法行為を制止、検挙する任務に従事中の警視庁第七機動隊勤務警視庁警部補大脇和喜夫に対し、右足でその左大腿部を一回足蹴にする暴行を加え、もって同警察官の右職務の執行を妨害したものである。」
との公訴事実につき、犯罪の証明がないとして、被告人に対し無罪を言渡したことを論難し、原審は証拠の価値判断を誤り、事実を誤認したもので、この瑕疵が判決に影響することは明らかであるというのである。
そこで、記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調の結果をもあわせて検討すると、原判決も判示するとおり、本件に至るまでの経緯とされる事実、すなわち、昭和五一年五月二三日午後一時三〇分ころから原判示集会が開かれ、同日午後三時三〇分ころから原判示集団示威行進が行われたこと、被告人もこれに参加し、途中からは自己の属する梯団の先頭に立ち、いわゆるシュプレッヒコールの音頭をとりつつ、時には道路中央線付近に及ぶ行進を繰返すなどしながら、東京駅八重洲北口前付近に到達したこと及び右梯団は、同所付近で違法な集団示威運動の規制と交通確保の任に当っていた警視庁第七機動隊第一中隊第一小隊(小隊長大脇和喜夫警部補)の規制を受け、同小隊から併進規制されながら同日午後四時二二分過ぎころ同北口の北方に位置する国際観光会館(東京都千代田区丸の内一丁目八番三号所在)前付近に至ったことが関係証拠により明らかに認められ、被告人、弁護人においても、この点について争うところはないのである。また、本件公訴事実の成否は、被告人が前記大脇に対し、公訴事実記載のような暴行を加えたか否かの一事によって決せられること及び被害者とされる大脇のほか、その余の検察官請求にかかる藤森芳、矢ヶ崎八千代、目黒友春、青木徳雄各原審証人(いずれも右規制に従事していた警察官)は、原審公判廷で一様に右暴行を現認目撃した旨供述するのに対し、被告人はこれを否定し、弁護人請求にかかる森田正実、岡田行雄、吉田勉各原審証人(いずれも右集団示威行進の参加者)も、ほぼ被告人の供述に添う証言をしていることも、原判決の触れるとおりである(なお、原判決は、暴行の事実につき、「弁護人申請の各証人は、これを否定している。」旨判示するけれども、検察官との双方申請にかかる前記青木証人を含め、弁護人の請求に基づいて原審で取調べられた証人八名のうち、暴行の存否について直接の供述をしたものは、これを肯定する右青木証人だけであり、被告人所属の梯団の先頭部分にいたメンバーとして目撃証人ということのできる前記三名は、いずれも暴行があったとされる時点の前後の状況について供述するにとどまり、被告人が大脇に対し暴行を加えたことはない旨を確言しているものではなく、その余の四名は、すべて暴行の事実に関する目撃証人ではないから、「弁護人申請の各証人は(暴行の事実)を否定している。」との判示は、その措辞がいささか適切を欠くとしなければならない。)。
そして、原判決は、大脇及びその他の検察官請求にかかる証人らの証言は信用できないとする反面、暴行の事実を否定する被告人の原審公判廷における弁解はたやすく排斥できないものとし、結局、所論のとおり、本件については犯罪の証明がなく、無罪を言渡すべきものとしたのである。
しかしながら、原判決が右判断の根拠として説示するところは、とうてい支持することができない。以下、所論に基づき、原判示に即して、主要な点につき、逐次検討を加える。
一 原判決は、まず、一において、原審証人大脇和喜夫の供述(以下、これを「大脇証言」という。その余の原審各証人の供述についても同様とする。)の要旨を掲げ、つぎに二、において、原審証人矢ヶ崎八千代及び同目黒友春が、被告人の暴行につき、これを現認した旨述べているほか、その前後の状況についても大脇証言と同旨の供述をしていることを指摘し、さらに、かっこ書で、矢ヶ崎証言中、五十嵐一敏作成の写真撮影報告書添付写真No.24(以下、これを「五十嵐写真24」といい、他の写真もこれに準じて略称する。)に関する供述の訂正に触れ、これが同証言の信用性の判断にあたって注意すべき事項であるとし、また、原審証人藤森芳の供述中、被告人の暴行状況の目撃に関する部分を摘記するとともに、右五十嵐写真24に関する供述をも掲げて、この点が藤森証言の信用性を疑わせる旨付言している(なお、右かっこ書末尾には、「(藤森)の供述も前記矢ヶ崎証言、目黒証言と同様、記憶に基づく供述かどうか疑問がある。」旨の説示が存するけれども、矢ヶ崎証言に関する説示は、右に摘記したとおり、信用性の判断にあたって注意すべき事項があることを述べるにとどまり、また、目黒証言については、それが記憶に基づく証言であるかどうかを疑問とすべき旨の判断は全く示されていないのであるから、藤森証言の評価において、卒然と、右のように、「矢ヶ崎証言、目黒証言と同様」、疑問があるとの説示がなされていることは、はなはだ理解し難いところといわなければならない。)。
ついで、原判決は、三、において、これら各証言が公訴事実に添うものであることを認めながら、「その信憑性にいくつかの疑問をさしはさまざるを得ない。」とし、1ないし4において、その理由を、大要、次のとおり説示する。すなわち、1右証人らは、本件発生の直前に、被告人の所属する梯団が道路中心線に達するだ行進を二回も繰返したというけれども、五十嵐写真24等に照らしてその事実は認め難く、右供述には誇張があると考えられ、2右証人らは、被害者である大脇が、被告人に対してきびしい警告を繰返していたというけれども、被告人に対する警告は主として第七機動隊長青木徳雄がしていたと認められるから、各証言は疑わしく、3右証人らにおいて、被告人が、大脇に対して暴行を加えたのち、歩道に逃走するにあたり、ガードレールを飛び越えた地点として指摘するところは、客観的事実とくいちがうなど不自然な点があるので、ひいて各証言は全体として信用し難く、4被害事実、特に大腿部に暴行の跡が残っていたことについての大脇の供述及び暴行を目撃したというその余の証人らの供述には不自然な点が多く、信用できない、というのである(以下、これらの説示を順次「原説示1」等という。)。
そこで、まず、これらの説示について判断する。
二 原説示1は、大脇らの証言につき、まず、被告人の所属する梯団が本件発生直前にだ行進をしたとする点は信用できないものであるとするのであるが、その判断の要点は、本件が発生したとされる当時、その現場付近で、デモ隊の違法行動に関する採証活動の一環として写真撮影に従事していた警察官五十嵐一敏の撮影した写真のうち、東京駅八重洲北口付近路上を過ぎてのちの被告人所属の梯団に関するものは、第二鉄鋼ビル(東京都千代田区丸の内一丁目八番二号所在。前記国際観光会館の北隣、すなわち呉服橋寄りに位置し、さらにその北側には同番同号所在の後記第一鉄鋼ビルがあって、これが呉服橋交差点に接している。)の前の車道上に道路標示をもって設置されているタクシー乗場付近において、右梯団が左側第一車線に規制されている状況を示す五十嵐写真24だけで、その他には同梯団の行進に関する写真が撮影されていないところ、右五十嵐の前示任務にかんがみ、真実、大脇、藤森、矢ヶ崎、目黒各証人のいうように、被告人らの梯団が、警備部隊を突き破り、あるいは押しのけて、「八重洲北口付近から第一鉄鋼ビル入口付近路上に至る間に、道路中央線に達するまでのだ行進を二回繰返した。」のであれば、「かかる状況を五十嵐が撮影しなかったというのはいかにも不自然」であり、かつ、右写真の内容も、大脇らの証言を裏付けるようなものでなく、従って、「被告人らの梯団が道路中央線に達するまでのだ行進を二回繰返した旨の大脇らの証言には、かなりの誇張が含まれているものといわざるをえない。」というのである。
ところで、五十嵐は、原審において、右写真撮影当時の状況につき証言し、「隊長から命ぜられて24を撮影し、さらにその次の状況を撮影するため先に進んだが、ふりむいてみると、25の状況(第一鉄鋼ビル入口前付近における被告人の逮捕状況)があったので、自分の判断でこれを撮影した。(だ行進などの)違法状態を写真によくあらわすためにふかん撮影をするなどの必要があるので、その場所を見つけるため先行していたものである。」旨供述しているのであるが、原審は、前記判文に徴し、この説明を不自然なものと解したようである。しかしながら、この見解には左袒することができない。
そもそも、本件当日行われた原判示集団示威行進のような大規模な行進(主催者発表による本件集団示威行進の参加人員は約一万五〇〇〇名であった。)は、道幅の広い幹線道路上を、多数の参加者が長大な隊列を組んで刻々と移動進行するものであり、その間において、たまたま、隊列中の一小部分(本件で問題となっている被告人所属の梯団は、約二〇名程度のものと認められる。)が、許可条件に違反し、だ行進等の違法行動を敢行するような場合、それが、参加者のどの部分により、どの地点で、いつ開始され、いつ終了するかは、一般に容易に予測できないところである。しかるに、このような違法行動の採証のため、沿道全域にわたってくまなく写真班を配置するようなことは実際問題として不可能であり、限られた人数の写真班をもってしては、その対応できる場面もおのずから限局されることはもちろんであるから、違法行動が発生した場合に、写真班員が、ただちにその一部始終を逐一写真撮影できる地点に位置していることは、必ずしも期待することができない。
さらに、写真撮影の実際を考えてみても、撮影者は、撮影すべき対象を認識したからといって、即時に、自己の目に映じたとおりをそのまま撮影できるわけではなく、使用すべきレンズを選択し(五十嵐の使用したカメラは、いわゆる一眼レフであり、三五ミリレンズ及び八〇ないし二〇〇ミリのズームレンズの二個の交換レンズが用いられている。)、目的物にピントを合わせ、撮影すべき画像の範囲を決定し、ズームレンズを使用する場合にはズーム倍率を選ぶなどの操作をするほか、場合に応じて、近接撮影、ふかん撮影、遠距離撮影その他の技法を活用するため、適当な場所に移動するなどの作業もしなければならないのであるから、一定の時間的余裕も必要であり、このような操作、作業中に、いわゆる「決定的瞬間」が過ぎ去り、結局、目的物が撮影できないことも少なくないのである。
このようなことを考えあわせると、原判示集団示威行進の隊列中の一小部分である被告人所属の梯団が、二回程度のだ行進をした場合に、その状況の全容が写真に撮影されていなくても、特に怪しむに足りず、この点に関して五十嵐の証言するところは、要するに、上司から撮影命令を受けた際にとりあえず一枚を撮影し(これが五十嵐写真24である。)、引き続き、さらに的確な写真を撮影するため、よりよい撮影位置を求めて移動中に、突然、被告人の逃走と逮捕という出来事が発生し、被告人所属の梯団は行進を中断して歩道上に殺到し、警官隊と揉み合う事態となった結果、本来の任務であるだ行進の状況の証拠写真は撮影できなくなったが、その後は、右の事態にかんがみ、自己の判断に基づいて、急遽、歩道上における逮捕状況の撮影を行ったという趣旨であるから、なんら不自然な点がなく、十分に首肯できるところである。原判決の説くところは、大脇らの証言するような二回のだ行進(それは恐らく数十秒をもって終了すると考えられる。)が発生したとすれば、その瞬間に、五十嵐は、たまたまその時に居合わせた位置如何にかかわらず、即座に、それがだ行進であることを的確に表現するような構図の、鮮明な写真を数枚撮影するのが当然であるというにひとしく、採証のための写真を撮影する警察官に対し、はなはだ難きを強いるものであって、賛同することはできない。
しかも、五十嵐がとりあえず撮影した写真24が、なんの問題も認められない平穏かつ整然とした行進の状況としか解しえないものを内容とするのであれば格別、原説示すら、「被告人所属のデモ梯団が決して平穏な示威行進をしていたものとは到底窺われず、青木隊長をはじめとする第七機動隊員によって圧縮規制を受け、これに対して被告人らが反発している状況が看取される。」というのである。そして、本件記録上窺われる原判示示威行進の一般的状況、特に五十嵐写真24に先立つ同18ないし23にあらわれている東京駅八重洲口付近の情景に照らすと、このような「圧縮規制」の存在と、これに対する被告人らの「反発」の存在とは、結局のところ、大脇らの証言にいう「だ行進」の存在を裏付けるものと解する余地が十分にあるのである。なぜなら、原説示の用いる「反発」の語義は必ずしも明らかでなく、被告人らの態度を「反発」と表現することの当否も問題である(五十嵐証言は、「突き当たる」との語を用いる。)けれども、いずれにせよ、右写真24に撮影されている被告人らの態度が、「圧縮規制」に素直に従おうとしているものでないことは明白であり、これをやめさせようとする態度、換言すれば、圧縮規制のない状態をもたらそうとする態度にほかならないということができ、そのことは、とりも直さず、被告人所属の梯団が道路中央部に向って進出できる態勢に持ち込もうと努めていることを意味するからである。
また、原説示は、五十嵐写真24の情景に関し、(1)「被告人らの梯団が左側第一車線内にあること」及び(2)「第二車線にデモ梯団と一定の距離を保って歩行している警察官の状況も見受けられること」を指摘し、これらのことからすると、(3)「(右写真に)撮影された状況をもって、大脇らの証言を否定こそすれ、裏付けるものとすることはできない。」とする。
しかし、(1)の点についていえば、被告人所属の梯団が左側第一車線内にあることは、圧縮規制の結果であるに過ぎないのであって、右梯団が自発的に第一車線内を平穏に直進しているわけではないばかりか、前記のように規制に「反発」していることからみて、車道中央線付近に向かって進出しようとしている状況が全く認められないなどと断定するわけにはいかないのである。(2)の点について考えると、集団中の一小部分が違法行動をしたからといって、これを規制するのに、付近の警察官全員が即時総掛りになっていては、別の部分がさらに違法行動に出た場合に対応できないから、現に規制に従事する警察官とは別の行動をとり、他の方面を監視、警戒するなどしている警察官のいることは怪しむに足りないばかりでなく、右写真は、六〇分の一秒ないし一二五分の一秒のシャッター速度で撮影されたもので、ほんの一瞬間の状況を静的に固定、表現しているに過ぎず、つぎの瞬間における右警察官らの動向がどのようなものであったかについては何事をも物語るものではない。五十嵐写真24の状況が、数分はおろか、数秒もそのまま持続したかのように即断してはならないのである。それゆえ、(1)(2)の点は、なんら大脇らの証言するところと一義的に対立しこれを否定するものではありえず、原説示のように、これらの点から、(3)の結論を導くことは正当とはいえない。
以上、要するに、原説示1が、五十嵐において、本件現場付近における被告人所属の梯団を撮影した写真は五十嵐写真24だけであること及び同写真にあらわれた情景についての独自の解釈に基づいて、被告人所属の梯団がだ行進をしたとの大脇らの証言には誇張があるとした判断は、警備、採証の実際に思いをいたさず、事態の正当な理解を欠く明白な誤謬である。
三 つぎに、原説示2は、被告人に対して違法行動をあおることをやめるよう警告したのは、主として青木隊長であったとし、自分が被告人に対して二〇回くらい警告をした旨の大脇証言及びこれと同旨に帰する藤森、矢ヶ崎、目黒各証言は信用できず、特に右大脇証言は、「自己の警告をことさら誇張して供述しているとの疑いをさしはさまざるを得ない。」などと述べるのであるが、その判断の主な根拠は、判文に照らし、青木証言中に、「自分は、隊長として、大脇に命じて被告人の梯団の規制にあたらせるとともに、みずからも被告人に対し警告を発し、一向に改まらないところから、指揮棒を被告人に突きつけながら、しだいに声を荒らげ、その結果被告人はデモ先頭部の自分と反対側に移ったので、さらに被告人に近づき、その鼻面へ指揮棒を突きつけるようにして厳しく警告し、険しい表情でにらみつけた直後本件暴行が起こった。」などとする部分があるところ、これが被告人の「当初デモ先頭部分右側にいたが、青木の警告が厳しいので、同人を避けて左側に移った。」旨の原審公判廷における供述と一致し、信憑性があると認められるという点にあると解される。
しかしながら、青木証言の内容は、原説示が依拠したとみられる右摘録にかかるものがその全部ではないのであって、当日、第七機動隊の最高指揮者であった青木は、「被告人らの梯団の違法行動が特に顕著であったため、その指揮扇動者と認められる被告人に対し、前記タクシー乗場付近から被告人の梯団の先頭近くを追随進行しながら、みずから厳しく六回の警告を行い、大脇もそのうち第二回ないし第五回の警告の際に被告人に対し同じくらいの警告を発していた。」旨をも証言し、さらに「青木のした六回目の警告後、なおもジグザグデモを行おうとする被告人の前に、大脇が立ちはだかるようにしてこれを制止警告した」こと及び「その時大脇がはっと腰を後ろに引くような、あるいは体をかわすような態度を示したので、同人が被告人から暴行を受けたと直感した」ことをも供述しているのである。そして、もともと大脇は第一小隊長として被告人所属の梯団の規制に直接従事していたのであるから、規制行為の一態様としてたびたび警告を発することは当然であるうえ、最高指揮者であって、通常は直接行動に出る必要のない青木においてすら、本件直前に六回もの警告を発したというのであるから、そのころ、大脇が、通算二〇回くらいの警告をしたということに、なんらの不自然さも存しない。しかも、大脇証言自体、青木隊長もしばしば警告をしていたことを述べているのであって、決して自分だけが警告していたとか、自分だけが主役であるとか述べているわけではない。そのことは、藤森、矢ヶ崎、目黒各証言についても同様である。従って、大脇が二〇回くらい警告をしていたとの証言になんら疑いをさしはさむべき筋合はないのである(なお、証人大脇和喜夫の当審公判廷における供述によっても、この点は明らかである。)。原説示は、証拠の一局部のみに目を奪われ、総合評価の見地を没却した立論であって、とうてい賛同することができない(なお、原説示中には、「あたかも警告の主役が大脇であるかのような大脇証言及びこれに追従する藤森、矢ヶ崎、目黒証言」との文言が存するけれども、判文上、藤森以下の各証言が大脇証言に「追従する」ものであることの論証はなく、藤森証言は原審第三回及び第五回公判において、矢ヶ崎証言は同第五、九、一一回各公判において、目黒証言は同第一一回及び第一三回公判においてそれぞれなされており、いずれも同第一四回公判においてなされた大脇証言に先んじた証言であることが本件記録上明白であり、かつ、「追従」の事実を認めるに足りる証拠も存しないから、右措辞はすこぶる適切を欠くとしなければならない。)。
四 さらに、原説示3は、「被告人が大脇を足蹴にしたのは第一鉄鋼ビル入口の右端前路上であり、被告人はそこからガードレールを飛び越えてほぼ一直線に同入口の左端付近まで逃げ、そのあたりで追跡して来た警察官に取り押さえられた。」とする「大脇らの証言」(原説示3は、原判決一及び二に掲記されている各証言の信憑性に疑念をさしはさむべき理由についての説示であるから、文脈上、大脇、矢ヶ崎、藤森、目黒各証言を指すものと解されるが、同説示も中段部分で触れるとおり、青木証言も同じ趣旨である。)を取りあげ、これを被告人の原審公判廷における「(自分は)第一鉄鋼ビル南端近くの配電盤ボックス付近のガードレールを飛び越えて逃走し、途中追跡して来た警察官に腕などを掴まれたため歩道上に一旦座り込んだが、結局、第一鉄鋼ビル入口左側付近まで連れて行かれた。」との供述と対比しつつ、「被告人が第一鉄鋼ビル前のガードレールのいかなる地点を飛び越えて逃走したかということは、それ自体被告人の『暴行』の有無に直接結びつく問題ではないけれども、検察側証人が一様に同旨の供述をしていて、しかもそれが必ずしも客観的事実に符合しないとするならば、その供述全体の信憑性は疑われても止むを得ないといわなければならない。かかる意味において、被告人が逃走する際飛び越えたガードレールの地点及び逃走方向は重要な意義をもつものということができる。」と述べ、目黒証人が、弁護人の反対尋問に際して、「(被告人を逮捕しようとして追跡するにあたり、)ガードレールの切れ目から行ったように覚えている。」と答えたことを強調し、このことは、被告人が原審公判廷で供述するとおり、「(被告人が)ガードレールを飛び越えて逃走したのは、第一鉄鋼ビル入口付近というよりは、それより東京駅寄りの歩道上に設置されている配電盤ボックス付近である。」と認定すべき有力な根拠となり、かつ、この認定は、野坂写真18、19等に撮影されている状況、すなわち、検挙される被告人を奪還しようとしているデモ参加者らが、第一鉄鋼ビル入口左側付近で呉服橋交差点方面を向き、これを制止しようとする警察官らがデモ参加者らと相対して東京駅方面を向いている状況とも符合するものであるとし、それゆえ、右のような認定と相容れず、しかも相互に酷似する前記各証言は、被告人の本件犯行を目撃したとする部分を含め、全体として信用できない、というのである。
ところで、逃走地点に関する被告人の右のような供述は、目黒証人はもとより、その余の関係証人、証拠写真等の取調べがすべて終了した証拠調べ最後の段階である原審第二二回公判(被告人質問と、これに続いての論告が行われている。)においてはじめてなされたものであり、その内容も、自己の経験のみに基づくものではなく、それまでの証拠調べの結果、特に「ガードレールの切れ目」に関する目黒証言や、証拠写真、現場見取図から知られる距離関係等による推論を多分に含んでいることが供述自体から明らかであって、このような事情を知ることのないまま、捜査の当初から一貫して誠実に供述されたような場合と異り、その信用性は必ずしも高いものとはいえず、かえって、「逃走の際、黒っぽい箱(配電盤ボックスを指すと解される。)を見た。」などとの点を含め、被告人の供述は、目黒証言や証拠写真等を基礎として案出された作為的供述ではないかと疑う余地さえ存するのであって、これを採用するかどうかについては、慎重な吟味を要するとしなければならない。
そこで、まず、目黒証言のうち、同人が被告人の本件所為を現認した直後、逮捕のため被告人を追跡したことに関する部分をみると、その大要は以下に摘録するとおりである。すなわち、同人は、検察官の尋問に対し、「被告人は、第一鉄鋼ビル正面入口前付近の車道上で大脇を蹴とばすと、すぐ振り向いて歩道上に逃げた。その方向は少しデモ隊側に向かっていた。デモの進行方向と少し逆行するような感じである。その際被告人はガードレールにひっかかってちょっところびそうになった。矢ヶ崎や自分は被告人を公務執行妨害の現行犯人として逮捕しようと歩道のほうへ向かった。被告人は、マックマスターズゴルフと日本交通公社の間の階段(第一鉄鋼ビル正面入口を指すと解される。)付近の石の黒い柱のところに行ったとき、矢ヶ崎に追いつかれたようである。矢ヶ崎が被告人を逮捕しようとしたところ、うしろの梯団の旗持ちがジュラルミンの旗竿で突っかかって行き、階段のところの柱にあたって旗竿がくの字型に曲がった。さらにその梯団の人たちがどやどやと歩道に上がって来たので、逮捕の妨害をさせないよう、自分はデモ隊の阻止にあたった。矢ヶ崎と藤森が被告人を逮捕し、呉服橋交差点の方へ連行して行き、自分は逮捕に加わっていない。」と述べ、弁護人の反対尋問に対して、「犯行が行われた場所から、自分はガードレールを飛び越えないで、ガードレールの切れ目があるその切れ目から行ったように覚えている。第一鉄鋼ビルの入口のところまで行ったら旗持ちが突きかかって来たので、自分は左を向いてその阻止にあたった。そこのガードレールが可動式であるかどうかは記憶にない。とにかく、被告人はここをまたいでひっくり返りそうになった。自分は切れ目か何かから行ったように覚えている。自分は足が短いからである。自分は被告人とほぼ同じ経路を走って行った。」「被告人の逮捕された位置を厳密に特定せよといわれると正確な答はできないが、旗竿が突き刺さって曲がった場所は第一鉄鋼ビルの入口右側の柱のように思われ、それが頭にあるから、その付近ではないかと思う。」などと述べているのである。従って、目黒証言は、被告人が、第一鉄鋼ビル入口前のガードレールを飛び越えて逃走したとする点において、大脇、矢ヶ崎、藤森、青木各証言とその軌を一にするものであり、なんら原説示摘記の被告人の供述に添うものではない。同証人が証言の際に図示したところも、右証言と一致しており、笠井治作成にかかる逮捕現場付近写真を示して被告人の逃走経路を問われたときも、同証人は第一鉄鋼ビル正面入口付近を指さしているのである。
ところが、原説示は、右証言中に存する「ガードレールの切れ目を通った。」旨の片言隻句をとらえ、これを証言全体の趣旨から切りはなして、被告人の前記供述を支持すべき有力な根拠であるというのである。
もっとも、その説明は必ずしも十分でなく、容易に真意を捕捉し難いのであるが、石橋友博作成の実況見分調書及び前記笠井写真によれば、説示にかかる配電盤ボックスのやや呉服橋寄りにバス停があり、乗降口に相当する部分二か所にガードレールの設置されていないところがあることに照らし、原説示は、この地点をもって目黒の通った「ガードレールの切れ目」であると考え、従って、被告人を追跡したという目黒が、このバス停付近を通ったのであるから、被告人の逃走経路も同バス停付近であり、ひいて配電盤ボックス付近でガードレールを飛び越えたとする被告人の弁解は排斥できないものとしたのではないかと考えられる。
しかしながら、目黒証言は、犯行現場及び被告人の逃走経路がいずれも第一鉄鋼ビル入口付近であるとする点をしばらく捨象してみても、さきに摘記したとおり、「被告人は、ガードレールを飛び越えた。その際ガードレールにひっかかってころびそうになった。」旨及び「被告人と自分はほぼ同じ経路を走った。」旨の供述を含むところ、被告人もまた原審公判廷で、「ガードレールを飛び越えた際、ちょっとつまずいた。」旨を供述しているのであって、かりに被告人が配電盤ボックスの呉服橋寄りから歩道に上ったとすれば、そこには前記のとおりバス乗降客の通行用に設けられたガードレールのない部分が二つもあるから、被告人はたやすくここを通りぬけることができ、わざわざガードレールにひっかかって転倒する危険を冒してまで、その付近のガードレールを飛び越す必要は全くないはずであるし、また、被告人が配電盤ボックスの東京駅寄りを飛び越えたのであれば、この側には「ガードレールの切れ目」は全くないから、「被告人とほぼ同じ経路を走った」目黒が、「ガードレールの切れ目」を通行するわけにはいかないし、被告人は配電盤ボックスの東京駅寄りを飛び越え、目黒はバス停の乗降口を通りぬけたとすることも、「被告人とほぼ同じ経路を走った」とする目黒証言と抵触するのであって、結局、原説示のように、被告人の供述に従い、被告人が配電盤ボックス付近でガードレールを飛び越えたものと認めることは、現場の状況及びその依拠する目黒証言との間に救い難い矛盾を生じ、まことに不自然の趣を呈するのである。
そのほか、右バス停は、標柱も設置されており、一見してバス停と知られる状況にあるから、目黒証人の記憶するのがこの地点であるならば、「ガードレールの切れ目」などということなく、当然「バス停」とか「バス乗場」とか述べたはずであると思われること及び右原説示がそもそも目黒証言の全体としての趣旨に全く反するものであることは、被告人の前記供述を排斥できないとする原説示の判断を疑問とすべき根拠として、いずれも軽視できないところである。
これに反し、大脇らが一致して証言するように、被告人が、第一鉄鋼ビル正面入口右端前付近の車道上で本件暴行をし、その付近でガードレールを飛び越えて、やや東京駅寄りに歩道上へ逃走し、同入口左端付近で逮捕されたことを大筋において真実であるとすることは、十分に可能であって、特段の難点は存しない。この場合、いうまでもなく、被告人及び追跡警察官らは、右入口前の可動式ガードレール部分ないしこれより東京駅寄りのガードレールを飛び越えたわけであり、目黒の「ガードレールの切れ目から行ったように覚えている。」旨の前記供述が、他の場合との混同その他の思い違いでないとすれば、同人は、たまたま少なくとも同人が通れる程度に開かれていた同部分を通り、もしくはみずからこれを開閉して通りぬけたものと解されるのである。なお、右可動式ガードレール部分は、遠藤写真によれば、別段複雑な機構を有せず、重量物とも認められず、たやすく開閉できるものであることが窺われるほか、関係証拠上、本件当日施錠されていた等の形跡も全く認められないのであって、目黒証人が、前記のとおり、「ガードレールの切れ目から行ったように覚えている。」とだけ述べて、ガードレールの開閉について触れないばかりか、それが可動式であるかどうかについて明示の尋問をされたのに、その点についての記憶をも回復しなかったことは、同人が被告人を急ぎ追跡することに気を取られ、他の事項はあまり意識しなかったこと及び同人が咄嗟にみずからその開閉をしたとしても、これになんらの困難をも覚えなかったことの証左ということができ、また開閉が容易であると認められる以上、野坂写真20の時点で、右可動式ガードレールが閉じられているように見えることも、別段、右のように解する妨げとなるものではない。
従って、本件証拠上、被告人が逃走するにあたり、ガードレールを飛び越えたのは、被告人のいうように原説示配電盤ボックス付近であって、それ以外の場所ではありえないと断定することはできず、少なくとも、右の点を、動かすことのできない客観的事実とすることは失当であるとしなければならないのである。
そればかりでなく、大脇らの証言するところによれば、被告人を第一鉄鋼ビル入口左側付近で事実上拘束した警察官らは、被告人を呉服橋交差点方向に連行する一方、他の警察官らは、逮捕を妨害し、被告人を奪還するため、被告人の後を追って歩道上に駈け上がって来たデモ隊員らに対し、阻止線を張って東京駅方面に押し戻したというのであるから、原説示の指摘する野坂写真18、19ないし柴崎写真17等に、第一鉄鋼ビル入口左側付近で、警察官らが東京駅方向を向き、デモ隊員らと認められる者らが呉服橋交差点方向を向いている状況の撮影されていることは、なんら右証言と矛盾するものでないばかりか、かえって、これを裏付ける強力な客観的証拠であると解するのが相当である。
原説示が、検察側証人らの供述は「客観的事実」に符合せず、信用できないとするにあたり、何をもって「客観的事実」というものであるかは、判文上、必ずしも明確ではないけれども、「被告人のガードレールを飛び越えた地点が配電盤ボックス付近であること」もしくは野坂写真等にあらわれた状況を指すものと推測されるところ、前者を「客観的事実」というのは、右にみたとおり、失当のそしりを免れず、後者の状況は、むしろ右証人らの供述を支持、補強するものであることも、いま述べたとおりであるから、結局、右説示は、その前提を失うばかりでなく、そもそも、その判断の方法は、検察側各証人の供述が大筋において一致することをもって、その信用性を疑うべき一根拠とし、あるいは証拠の一断片をことさらに強調してその全容には眼をおおうなど、証拠の取捨選択において適切さを欠くものであって、とうてい支持することができないのである。
原説示3が問題とする大脇ら検察側各証人の供述は、説示と異なり、大筋において客観的事実と符合し、不自然、不合理な点もなく、十分に信用するに値するものといわなければならない。
五 原説示4はまた、大脇証言中「被告人に蹴られた結果、その部位に発赤を生じ、三日間くらい自家治療をしたが、痛みが一週間くらいでとれたので、診断書の作成も求めなかった。」との点に関し、「被告人のはいていた靴はビニール製レインシューズであったから、右証言のような傷害が発生するかどうか疑わしく、しかもその程度の傷害があれば、専門医の診察治療を求め、診断書の作成交付を求めるのが捜査官の常識であり、そのような措置をとらなかったことは、傷害の発生のみにとどまらず、暴行の事実すら疑わしめる。」というのである。
しかし、被告人のはいていた靴が運動靴や上ばき靴のような軟質のものでなかったことは関係証拠上推認するに足りるばかりでなく、被告人の本件暴行の態様に関する大脇、矢ヶ崎、藤森、目黒、青木各証言の内容は、「被告人が、大脇に対し、レインシューズをはいた右足で、同人の右斜め前から出合頭もしくはカウンター気味に、左足膝上の大腿部のあたりを蹴りつけ、その衝撃により、大脇は腰を後ろに引くような動作をした。」というのであって、このような状況であるならば、大脇の証言するような結果の生じることになんら不自然な点はなく、原説示の投じる疑問は、根拠のない臆断の域を出でないとしなければならない。
また、受診、診断書作成に関する原説示も、なんらの根拠をも示さないまま、「捜査官の常識」を措定し、これに基づいて大脇証言の信用性を云々する独自の立論であって、とうてい維持することはできない。しかも、大脇証言は、この点について、「機動隊は、警備出動のたびに多数の隊員らが発赤、かすり傷程度の傷害を負うており、もし、これらの隊員がその都度休暇をとり、医師の診断を受けていたのでは、警備出動にも支障を来たすところから、軽微な傷害の場合には、ほとんどの隊員が自分で手当をして済ませていた状況にあったもので、特に本件の場合、当初から傷害の点は立件されておらず、かつ、自分自身のほか多数の目撃者もあり、現場における現行犯逮捕の事案でもあるから、将来の立証についてもなんら支障がないと考えるとともに、機動隊の小隊長たる職責にかんがみ、この程度の傷害で警備出動に支障が生じてはならないとの配慮から、あえて医師の診断を求めることなく、職務を終り、帰宅してのち自家治療をした。」旨の説示を含んでいるところ、この説明には少しも不自然、不合理な点がなく、十分に首肯できるものであるのに、原説示がこれを一蹴し、ひたすら大脇証言の信用性を疑うことに終始しているのは、はなはだ理解に苦しむところである。
原説示4は、さらに、被告人の暴行の目撃状況に関する矢ヶ崎、目黒、藤森各証言について、その信用性が疑わしいとするのであるが、その理由として述べるところは、要するに、矢ヶ崎証人が、暴行直前における被告人の反発の態様や姿勢、反発文言の内容については「覚えていない。」、「忘れた。」と供述しながら、暴行事実については、「右足の爪先あたりで、大脇小隊長の左足大腿部付近を蹴とばしたところまで現認しておりました。」と明確に述べていること、目黒証人が、「被告人は右足で大脇小隊長の左足の膝の上の大腿部付近を蹴とばして逃げた。これを目撃したのは三メーターか三メーター半くらいのところからで、当たったのは靴の裏というか、爪先というか、あのへんである。」旨供述していること、また、藤森証人が、「被告人が右足を大きく上げたのは見えたが、足の先が自分の右斜め前にいた矢ヶ崎の陰になり、大脇小隊長に当たったかどうかまでは見えなかった。」旨供述していることをそれぞれ指摘し、これを、青木証人が、「大脇が被告人の前に立ちはだかるようにして警告したところ、大脇ははっとしたように腰を後ろに引くというか、体をかわすような態度を示し、それと同時に大脇は被告人をつかまえようとして手をのばした。」、「被告人の手は上がっていないから、足で蹴ったと直感した。」と供述していることと対比し、「被告人に最も接近し、強行(「強硬」の誤記と認める。)かつ執拗に被告人に対して警告し、従って最もよく被告人の挙動を観察していたと思われる」青木証人でさえ現認していない暴行事実を、「被告人らの梯団のだ行進の規制に注意を奪われていたと思われる」前記三名が、「いかにデモの先頭部に位置していたとはいえ、被告人の暴行の態様を子細に観察しえたものとは到底考えられない。」というにある。
しかしながら、矢ヶ崎証人が、その証言する被告人の暴行に先き立つ状況については、「覚えていない」等の供述をしていることは原説示のとおりであるけれども、同証人は、当時、特に被告人ひとりに注目し、その行動を逐一観察記憶できる状況にあったわけではなく、単に、被告人所属の梯団の違法なだ行進を十名内外の警察官とともに規制する職務に従事していたところ、突然本件暴行が発生したというのであるから、被告人の足蹴り及びこれに引き続く逃走というような異常な事態については、印象が強烈で記憶も比較的鮮明に残っている反面、それ以前の状況についてはつぶさに観察記銘していないということは、むしろ当然ともいえるのであって、なんら怪しむに足りない。しかも同証人の目撃したという被告人の暴行は、単純な一回かぎりの足蹴りであるにとどまり、長時間にわたって執拗に反復されたもの、あるいはたやすく捕捉しがたい複雑微妙な態様のものではないのであるから、その目撃は単に一べつすれば十分であって、原説示のいうような「子細な観察」を要するはずもない。目黒証言については、右に摘録したとおり、原説示は、犯行直前の状況についての同人の供述が明確を欠くものであるかどうかというような点には全く触れることなく、単に、本件暴行についての証言内容が比較的明確であることをもって、その信用性を否定すべき根拠とするもののようであるから、説示自体、不可解なのであるが、いずれにせよ、その目撃内容は一べつをもって十分認識することのできる極めて単純な一事象であり、そのうえ異常な出来事であるから鮮明な記憶が残されても不思議はないとすべきこと、矢ヶ崎証言の場合と同様である。しかも、右両証人が被告人の暴行を目撃した位置として証言の際図示したところもその供述内容と符合しているのであって、その間になんらの不自然さも存しない。さらに、藤森証言は、前示のとおり、目撃しえたところと、見えなかった点とを判然区別して述べるものであって、その間、虚偽、作為を疑わせるような点は全く見受けられないのである。
そして、青木証人が被告人の大脇に加えた足蹴りそのものを目撃していないと述べていることは前示のとおりであるが、右暴行は、大脇が青木と被告人との間に立ちはだかるようにして被告人に制止、警告を試みた瞬間に発生したというのであるから、大脇の背面にいた青木に、大脇の右斜め前面から、その左大腿部前面に加えられた足蹴り、特に被告人の足先が大脇の右部位に当たったことが見えないのは、理の当然であるばかりか、同証人は、前示のとおり、大脇が腰を後ろに引き、ついで被告人を捕えようと手をのばしたこと及び被告人が手で暴行したものでないことは認識していたというのであるから、その供述は、むしろ、実質的には、大脇らの証言するような被告人の暴行の現認と等しい内容を有するものにほかならない。
被告人の暴行の目撃状況に関する矢ヶ崎、目黒、藤森各証言には、なんらその信用性を疑うべき事由がなく、青木証言と対比しても、同証言はむしろ右各証言と一致してこれらを補強するものというべく、これに反する原説示の判断は、各証言の内容を正当に評価しないものであって、誤りであるとしなければならない。
六 つぎに、原判決二のかっこ書判示について一言する。
同判示は、まず、原審証人矢ヶ崎八千代が、主尋問に対し、被告人が大脇に暴行を加えたのは五十嵐写真24に撮影された状況の直後である旨供述しながら、反対尋問においてこれを訂正し、右写真に撮影されているのは第二鉄鋼ビル前のタクシー乗場付近におけるデモ行進の状況であり、大脇が暴行を加えられたのは、ここより約二〇〇メートル呉服橋寄りの地点である第一鉄鋼ビル入口前車道上であると述べ、さらに右の距離につき、七〇メートルないし八〇メートルと訂正していることを指摘したうえ、「この点は、同証人が記憶に基づいて供述しているかどうかを判断するにあたって注意しておかなければならない点と思われる。」と説き、さらに原説示4の末尾近くにおいて、再度この点に触れているのであって、結局、原判決は、右のような供述の訂正があったことをもって、矢ヶ崎証言の信用性を否定すべき有力な根拠とするもののようである。
ところで五十嵐写真24は、第二鉄鋼ビル前のタクシー乗場付近で、被告人所属の梯団と、青木、大脇ら規制に従事している警察官とが、車道第一車線内において接触対峙している状況を撮影したものであるが、写真自体から直ちにそれがどの地点であるかを識別できるような顕著な目標物が写し込まれているわけではなく、たまたま同写真右下隅にわずかに写っている道路上の白線を子細に検討し、これを現場付近の道路上に存する標示と比較対照することによって、右地点における状況であることがはじめて判明するに過ぎない。また、矢ヶ崎証人が、右写真の状況の直後に被告人が大脇に暴行を加えた旨の証言をしたのは、要するに暴行のあったのは被告人所属の梯団が道路左端に寄せられているときであったというのが同人の認識であり、かつ、右写真が、そのような場面、すなわち同梯団が左に寄ったところを示していることに基づくものであることが、その証言内容によって明白である。そのうえ、警察官らの証言によれば、規制を開始したのちは、別命のない限り、当初の隊形を維持すべきものであり、右タクシー乗場付近を通過して以後、警察官らは、ほぼ同じような関係位置を保ちながら、被告人所属の梯団の進行と共に本件犯行発生地点付近まで移動して来たというのであるから、五十嵐写真24の状況と、本件犯行直前の状況とは酷似していたことが容易に推認できる。従って矢ヶ崎証人が、証言の途中において、卒然と右写真を示され咄嗟にこれらを混同誤認したことは、まことにありうべきところであって、なんら怪しむに足りず、このことの故に矢ヶ崎証言全体の信用性を疑うのは、失当である。
さらに、距離関係の「供述の訂正」についてみると、本件現場はビル街の中を通る片側四車線という道幅の広い直線道路の車道であって、ここを徒歩で進行しながら規制に従事していた矢ヶ崎の視点からは、距離測定上の目印になるような地物が別段存しないこと(そのことは、石橋友博作成の実況見分調書に添付された数多くの写真――対向車線側の歩道上から目の高さで順次撮影されたもの――が、撮影位置を番号で記入した図面の助けなくしては、その相互の関係位置をほとんど知りえないことからも明らかである。なお、この関係では、反対側の高層ビルの上から撮影された鳥瞰写真である笠井写真は適切な資料とはいえない。)及び同人は事件発生後約一年を経たのち、現場でなく、法廷において証言しているものであることを考えれば、距離関係についての証言に若干の誤差があったとしても不思議はないばかりか、もともと、原判決は「供述の訂正」というけれども、同人が、さきに自己の供述した二〇〇メートルという数字は誤りで、実は七〇メートルないし八〇メートルが正しいというようなことを証言した形跡は記録上見当たらず、右判示に照応するとみられる速記録記載によれば、弁護人が、石橋友博作成の実況見分調書添付の現場見取図(1)の記載に基づいて、「国際会館から五十嵐写真24のタクシー乗場までの距離が七、八〇メートル、そこから本件犯行があったという第一鉄鋼ビル入口付近まで七、八〇メートルとみられるから、この図面から言って、24の地点は規制の始めから逮捕までのほぼ中間か」との推論をするのに対し、同人が「はい」、「はい」、「そうです」などと相づちを打っているにどまるのであって、このようなことに基づいて矢ヶ崎証言の信用性を云々することは、正当とはいえない。
原判決二のかっこ書判示は、また、原審証人藤森芳が、「五十嵐写真24は犯行の直前の状況であり、同写真25と同一場所付近の車道上である」旨述べたものとし、これが誤謬であることを根拠として、同人の供述が「記憶に基づく供述かどうか疑問がある。」というのである。
ところで、同証人の証言速記録中には、右のとおりの文言は見当たらず、右判示に照応すると思われる記載は、原審第五回公判における証言のうち、弁護人の「24の写真と、それから25の写真ですが、その位置関係は、前回あなたが公判廷で書いた図面によると、ほぼ並んでいるという位置関係ですね。これは間違いないですか。」との問に対し、同人が、あらためて当該図面を確認する機会を与えられないまま、五十嵐写真24及び25を示されて、「そうですね。」と答えた部分である。
しかるに、同証人の「前回の公判」すなわち原審第三回公判における五十嵐写真24についての証言の内容は、同写真に撮影されている被告人及び大脇、青木、矢ヶ崎の識別特定のみであって、その写真の撮影位置等についてはなんらの尋問も供述もなく、同人が公判廷で作成記入し、速記録末尾に添付されている図面にも、五十嵐写真25及び26に相当する地点は図示されているけれども、同24相当の位置の記入は全く存しないのである。
従って、弁護人の前記尋問は明白な誤導尋問にほかならない。そして、右証言の当日、それまで長時間にわたってしつような反対尋問が繰りひろげられ(その間、証人は、前回の証言において、五十嵐写真24について「被告人が先導しているかっこうである。」旨述べており、「感じ」という表現を用いたのは別の時点の状況についてであるにもかかわらず、弁護人が「五十嵐写真24について、前回先導している感じといったね。」とし、そのことを前提とする尋問が繰返された結果、混乱に陥ったり、あるいは「右足を挙げたのを見た。」との供述に対して、右足と思った根拠を問うなど不必要なまでに微に入り細をうがった尋問が続けられたりしている。)、証人が精神的にかなり疲労していたと思われることのほか、前述のように、五十嵐写真24にあらわれた状況は、タクシー乗場の道路標示のごく一部分が写っていることについての認識を持たないかぎり、本件犯行直前の状況と混同しやすいものであることをも考えあわせると、同人が、弁護人の前記誤導尋問につられて、いわばおうむ返しに「そうですね。」との答をしたことは、錯覚によって生じた単純な誤りであるに過ぎないことが明らかで、そのような答をしたことの故に同人の証言全体の信用性を疑うことは失当である。
以上、要するに、原判決二のかっこ書判示に示された判断は、いずれも肯認することができない。
七 原判決四は、証拠上明白であり、また被告人も争わない被告人の行動、すなわち、本件当時、「被告人が、デモ隊列を離れ、突如、ガードレールを飛び越えて逃走したこと」について検討し、被告人が大脇に対して公訴事実記載のような暴行を加えた事実がないのであれば、被告人がこのような行動に出るはずがなく、右事実は本件暴行の事実を認定するうえで有力な間接事実となりうるものであることを認めつつも、この点に関して被告人が原審公判廷でした弁解、すなわち、「右行動の直前、ハンドマイクの使用に関する青木隊長の警告が厳しいので、いったんマイクの使用をやめ、警告に抗議しながら同隊長を離れ、若干進行した地点で再度マイクコールを始めたところ、同隊長が指揮棒を振って『検挙』と号令をかけたので、逮捕されると思い、逃走した。」旨の供述はたやすく排斥できず、右逃走行為をもって本件暴行の事実を認定すべき間接事実とすることはできない、という。
しかしながら、右弁解は、「(当時、被告人所属の梯団は)ジグザグデモやだ行進を行わず、終始順行方向の左側第一車線を進行して来た。」旨、上来判示したような客観的事実に明白に反する部分を含むほか、弁護人請求にかかる原審証人吉田勉(同人は、本件当時、被告人所属の梯団の先頭で、被告人とともにその誘導にあたっていた者である。)の、「被告人がガードレールを飛び越えて逃げる直前、被告人がコールを始めたことは記憶にないし、『検挙』という言葉を聞いたこともない。」とする供述に添わないものであることを考えれば、その信用性を認めるには十分慎重でなければならないこと、もちろんである。
ところで、右弁解の当否を考えるうえで、もっとも重要なのは、被告人がマイクコール再開の故に検挙されると考えたということに不自然、不合理な点はないかどうかである。
原判決は、被告人がこのように考えたことは不自然、不合理でなく、これが被告人の右行動の動機、原因であると認める余地があるとする。
けれども、いったい、シュプレッヒコールをすること自体が検挙の事由になるものであろうか。シュプレッヒコールは、集団示威行動の本質的部分のひとつであり、法的根拠に基づいて公安委員会からあらかじめ特に制限条件が付されているのであれば格別、規制に従事する警察官において、恣意的に制限することができるはずがなく、そのような制限に従わなかったからといって、その者を検挙できるわけもない。もちろん、本件で証言した警察官らが、このことにつき認識を欠いていた形跡は全く認められず、関係証拠上、本件現場付近における本件集団示威行動について、シュプレッヒコールを制限する条件の付されていなかったことも明らかである。規制に従事していた警察官らの証言するところも、被告人に対する警告の内容は、「平常行進に移らせよ。」「だ行進を扇動することをやめよ。」というにあったというのであって、もとより、これが当時の状況の真実を伝えるものと認めざるをえない。そして、被告人の地位、経歴にかんがみれば、被告人において、この点についての無知、誤解があったとは、まことに考え難い。現に、原審第一回公判において、被告人自身、本件の当時、シュプレッヒコールをすることは公安条例違反でも何でもないと思っていた旨の陳述をしているのである。
従って、他になんらの違法行為もしておらず、単にマイクコールをしただけのことで、逮捕されそうだと考えて飛んで逃げた旨の被告人の弁解は、はなはだ不自然、不合理なものというべく、このことを、さきに指摘しただ行進の否定や、吉田証言とのくいちがいともあわせ考えるときは、右弁解の信用性は極めて乏しいとしなければならない。
もっとも、青木、大脇らの証言によれば、被告人がハンドマイクで音頭をとっているシュプレッヒコールは、その文言は別として、その調子があたかも「一、二、一、二」と号令をかけるようなものであり、「わっしょい、わっしょい」という場合もあって、実質上、だ行進を勢いづけ、これをあおりたてるものであったところから、青木、大脇はそのようなあおり行為をやめさせることによって平常行進に戻させようと考え、特に被告人に対して警告をしたものであり、当初は「ジグザグ行進をやめなさい。平常行進に戻しなさい。マイクで違法行動をあおることをやめなさい。」などとの文言を用いたけれども、警告の繰返しにあたっては、きびしく言う必要もあり、すでに意味がわかっているはずなので、しだいに簡潔にし、「マイクであおるのをやめろ。」、あるいは「マイクをやめろ。」、さらには「やめろ。」などの表現をも用いたとのことであり、これに対して、被告人においても、「マイクを禁止するのか。マイクを使って何が悪い。」などとの発言をした模様であるが、右のような経緯に徴すれば、当初から警告の対象であった被告人が、マイク使用自体、ないしシュプレッヒコール自体が禁止されたものと誤解するはずがなく、「マイクを禁止するのか。」等の発言は、警察官の言葉尻をとらえ、これをことさらに曲解しての言いがかりと解するのが相当である。
そこで、被告人の前記行動は、青木、大脇らの証言するように、交差点内でだ行進その他の違法行動がなされるときは、容易に規制できない混乱を招くおそれがあるところから、呉服橋交差点に到達するまでにだ行進をやめさせようとして、青木隊長はもちろん、大脇においても、被告人らに一段と強くその旨の警告をしたが、被告人は警告に従わず、なおもだ行進を鼓舞扇動しようとしたので、これを制止すべく大脇が被告人の前に立ちはだかり、「デモの頭を歩道の方に向けさせろ。」と叫んだところ、被告人はこれに立腹して大脇を蹴りつけ、これによる逮捕を免れるため逃走を開始したものであり、青木の検挙命令は、もとより被告人の逃走開始後に発せられたものと認定することを支持する有力な間接事実であるというべきであって、前示原判断は維持することができない。
(なお、被告人の暴行の動機としては、右のほか、大脇が被告人に近づいたことから、条件違反のだ行進の指揮者ないし扇動者として検挙されるものと考え、逮捕を免れるため、機先を制して同人を蹴りつけ、同人がひるんだ隙に逃走しようとしたものと考える余地もないではないが、被告人の弁解には添わないから、このような認定は採らない。)
八 以上のしだいで、検察官請求にかかる原審各証人らの証言につき、原判決がその信用性を疑うべき根拠として説示するところは、いずれも支持することができず、かえって各証言はその大筋において十分信用するに値するものと認められ、また、原判決がたやすく排斥し難いものとした被告人の弁解はとうてい採用することができないものである。そして、本件公訴事実は、右証言を初めとする関係証拠によってこれを肯認することができ、従って、原判決が、犯罪の証明がないとして被告人に対し無罪を言渡した判断は、証拠の価値判断を誤り、事実を誤認したものにほかならず、その瑕疵が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。
よって、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い、被告事件につき、さらに判決する。
(罪となるべき事実)
被告人は、昭和五一年五月二三日午後四時二五分ころ、東京都千代田区丸の内一丁目八番二号先路上において、労働者、学生らの集団示威運動に伴う違法行為を制止、検挙する任務に従事中の警視庁第七機動隊勤務警視庁警部補大脇和喜夫に対し、右足でその左大腿部を一回足蹴にする暴行を加え、もって同警察官の右職務の執行を妨害したものである。
(証拠の標目)《省略》
(法令の適用)
被告人の判示所為は、刑法九五条一項に該当するので、所定刑中懲役刑を選択し、その刑期範囲内で被告人を懲役四月に処し、同法二五条一項一号を適用してこの裁判確定の日から二年間、右刑の執行を猶予し、原審及び当審における訴訟費用は、刑訴法一八一条一項本文により、全部被告人の負担とする。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 西村法 裁判官村田文哉、同田尾勇は、職務代行を解かれたため署名押印することができない。裁判長裁判官 西村法)